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正法寺
正法寺
住 所
静岡県富士宮市上柚野178
TEL
0544-66-0012
山 号
竹養山
アクセスマップ
江戸時代の境内図
沿 革
History
御宇多天皇の御代、建治3年6月8日(1277年)宗祖日蓮大聖人の中老僧の1人三位阿闍梨日進上人の開山。日進上人は嵯峨源氏安倍貞任の後裔である。上人の父は仏道に帰依し、日蓮上人の鎌倉における説法に深くうたれその弟子となり、その子3人も亦弟子になった。父は日元、子は日進・日善・日上の法名を賜る。文永8年(1271)9月12日、聖人竜ノ口法難の折、13才であった日進上人は日朗上人と共に捕えられて土牢に入れられる。後、聖人佐渡流罪も御赦免となり、文永11年6月17日身延山に入られ、日元は奉侍のため聖人の草庵近くに居を移し、日進・日善共に御給仕申し上げている。この居所は後の竹ノ坊で、日元上人の開基、日朗上人の開山となっている。
日進上人19歳の折、身延への途中、駿州柚野の里で足をいため、湯治中、当時この正法寺は真言宗の道場で慈眼法印なる者がいた。日進上人は此の法印と大いに法論し、これを折伏し、この道場を日蓮宗となし、身延山直末竹養山正法寺とした。今より約735年前のことである。
日進上人55才の折、身延2世日向上人の嘱を承け祖山3世となり、祖山の為に尽力され、在位22年元徳2年(1330)12月8日76才にて遷化された。
宝永4年(1707)富士山の大爆発の時、震災により堂宇ことごとく崩壊している。此の時第20世日奨上人、広く檀信徒に呼びかけ、本堂、祖師堂、鐘楼、七面堂、番神堂、庫裡、慈眼坊、道仙坊の諸堂を復旧し、当山の面目を一新している。この為、日奨上人を推して中興の祖と伝えられている。ところが文政12年(1829)再び火災にあい、29世日現上人が庫裡を再建、天保10年(1839)本堂を再建、その後、代々の住職によって鐘楼並びに慈眼坊の復興につとめたが、祖師堂、道仙坊はついに再建することができなかった。明治維新の廃仏毀釈により、七面堂、番神堂並びに慈眼坊は廃滅し、寺門の経営も一時困難となったが35世日裔上人の時、永代緋金欄跡の寺格となり、近年になって、歴代上人墓地整備、檀家墓地拡張整備、鐘つき堂再建、山門建立、本堂・庫裡新築、駐車場設置、境内整備等、寺観一新に尽力し、法灯連綿として今日に至っている。
西谷法縁。毎日朝6時、夕5時に平和祈願の鐘を鳴らし続けている。
寺宝
日蓮聖人真筆、身延3世日進(2)、11世日朝(1)、31世日脱(1)、32世日省(1)、33世日亨(1)各本尊。身延26世日暹棟札、81世日布(1)、91世日光(1)各扁額等諸々。
交 通
Event
JR身延線富士宮駅下車、バス上柚野行大門下車、徒歩3分
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