節分と鬼

立春の前日、まだ寒さの残る夕暮れに
「鬼は外、福は内」
と豆をまく声が聞こえてきます。
この行事は、冬から春へと季節が変わる節のとき、災いや病が入りやすいとされた古い時代の風習に由来しています。
豆をまくのは
「魔を滅する」
つまり悪いものを遠ざけるという願いの表れです。
ところで「鬼」は、本当に外にいるものでしょうか。
私たちの心の中にも
怒り、ねたみ、恐れ、欲など
“心の鬼”が顔を出すことがあります。
節分の豆まきは外の鬼を追い出すだけでなく
自分の心に潜む鬼を静かに見つめる行いでもあるのではないでしょうか?
「地獄と仏とは 我等が五尺の身の内に候」
日蓮聖人は富士宮にお住まいでいらしたご信者さんに
「地獄と仏というものは、どこか一定の場所に存在するのではなく
我々の、この小さな身体には中に様々な世界が存在する。」
と説かれております。
自分の良い心の存在を見つめることは簡単でありますが
心の悪・汚い部分を認め・受け入れるということは人にとってたやすいことではありません。
そして自身の心を覗いたとき
そこに良い心も悪い心も存在していたことに気付き、その中心となっているのは「自分」であることを知ることで、心の在り方=仏も地獄もコントロール出来るようになるのです。
全てが善・全てが悪と白黒をはっきりと付けるのではなく、善も悪も混じり合った存在であるグレーゾーンの状態こそ、そこに日本人の物事への関わり方のやさしさが感じられる部分でもあります。
日蓮宗では「鬼子母神」という鬼の神様を祀るお寺も多く
節分の日に「鬼は外」とは言わず
「福は内」とのみ唱える寺院もあります。
悪しきものを排除せず、その根にある悲しみや苦しみをも受け入れていく
これもまた仏の教えだと感じます。
私たちの心には、鬼と仏が共に住んでいます。
怒りも、憎しみも、悲しみも、
もとは誰かの為に心を働かせたからこそ生まれたものであれば、慈悲にも通じるものなのです。
節分の豆まきは
自分の心の「魔を滅し」他への慈悲へと転ずる道を示しています。
この二つの祈りのあいだにこそ仏様の心が息づいています。
鬼は外、と唱えるとき
どうか心の中の鬼にもやさしく声をかけてください。
その鬼こそ救いを求めているあなた自身かもしれません。
令和十三年に
宗祖七五〇遠忌をお迎えします。