もと真言宗に属し、開創年代はおよそ千年前と推定される。建治3年(1277)6月8日、日蓮聖人の孫弟子、日進は鎌倉で龍象房と対論破折し、身延第2祖(日向上人)師匠の元へ登山の途中駿州柚野で足を痛め療養中、当山住持慈眼房と法論を交わし改宗させた。この縁故をもって日進が推されて開山となる。約36年間住職を務め、55歳で身延日向上人の後、3世に栄進されている。
当山第20世、光運院日奨の代、宝永4年(1701)に震災に遭い壊滅したが、年を経て本堂・祖師堂・番神堂・開山堂・七面堂・鐘楼堂・庫裡・慈眼坊・道仙坊を復興した。身延31世日脱より永聖の寺格を賜り、日奨を中興の祖とする。
文政12年(1829)、当山29世潮亨院日現の代に火災の爲め諸堂を焼失したが、本堂・庫裡・鐘楼堂・慈眼坊が再建されている。
第32世本純院日耀の代、身延69世日琢より永代紫紋白跡とされ、明治22年に至り35世海応院日裔の代、身延78世日良より永代緋金襴跡に推された。
平成13年当山第43世川手海正代に上条旧末寺跡に約400坪の農地を墓地に転用し170区画の墓地を完成す。
西谷法縁。毎日朝6時、夕5時に平和祈願の鐘を鳴らし続けている。
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