天文十八年(1549)十四世・日我上人の時に今川氏真より朱印下附、以来将軍が替わるごとに必ず御朱印が下されている。元和八年(1622)に御影堂が建立される。寛政元年(1789)十一代将軍のとき、松平紀伊守を通じて国土安穏の祈祷を仰せつけられ、三月二日より十日までの間壽量品三百巻を読誦奉行している。記録によれば毎年正月六日、登城総礼の席に列し、且つ将軍の葬祭等には納経拝礼の儀についた。宝歴十一年、宝永十年、安永八年、天明六年、嘉永六年などの例がある。
回禄の厄
当山は頻々と火炎に遭っているようで、他寺院にくらベでその回数が些か多い。天文六年に兵火で全焼、二十一世・日有師のとき木堂・天王堂が焼失し、次の日重師の代に塔中が全焼している。天明五年には寺領の民家が多く焼けているが、天保六年、四十六世・日諦師の時本堂・書院・塔中が全焼、明治元年四月、四十九世・日英師の代には客殿・書院・大庫裡・長屋門・玄間など五棟が焼失、大庫裡は同年六月直ちに再建したが、客殿は昭和二十七年に完成した。八十五年目のことである。尚、明胎十三年十一月九日、五十一世・日任師の代、小学校開校祝いの花火の災禍で本堂が焼け落ち、十七年に次代日霊師が上野・東光寺の本堂を譲り受けて仮本堂としたのが、現在も猶残っている。(山門の正面)
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