石川式部勝重が当地に来て高明入道と称し、字心境に草庵を結び真言密教の道場をはじめたのが当山の起源である。のち宗祖の門下の日目の教化を受け、名を日理と改めた。乾元元年(1302)に草庵を現在の山寺号に改め、日目を開山と仰ぎ、日理は二世となった。
また当山は三大東漸寺の筆頭であった。三世日感が住職になってまもないときに兵火の厄に遭い、175年もの間、廃寺となったが、大永4年(1521)堂宇を建て再興した。のち寺の場所を宇心境から宇中別所に移したが、慶安3年(1650)に現在の地に移し、寛政3年(1791)には本堂を再建した。明治の初年までは塔頭として、五坊のほか、隠寮寂富庵があったが今はすべて廃跡となっている。諸堂はすべて戦後の復興である。
当寺は玉沢の法縁である。本尊勧請様式は一塔両尊四士、合掌印で祖像は説法像である。 |